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一か八か

2006/11/29(水)

平成18年11月25日

今日は若い時からしている趣味の謡・仕舞の大会である。
ご多分にもれず若い人が少なくなり、高齢者ばかりの絶滅品種の会になってしまっている。
まあ 謡・仕舞・囃子・能と、このお稽古は予習復習がいり、ちょっと入り口の敷居が高い。
が、いったん中に入れば、一生つきあいたくなる凄い魅力があるのだが・・・

私も若いときはもちろん自分が好きで入った道だから、一生懸命お稽古して会ともなれば、張り切って舞台に上がった。

たとえば仕舞の飛びかえり・・・体を後ろに回しつつ片足を出して踏み切り、飛び上がりながら回って元の位置に座る・・・の型があるが、力不足でひっくり返るのを覚悟で、薙刀ふりかざしながら、イチかバチかで飛び上がったものだ。

鍛え上げた体操選手でも、何回かに1回しか成功しない技を思い切って本番にやるという、イチかバチかの演技を思えば、自分だってこれ位と、必死で自分をけしかけてやったものである。・・怖いもの知らず?・・

ところが最近はだんだんと先が見え、体力も衰え、脚力の要る強い型は無理、お稽古はただの楽しみとなり、本舞台ともなれば、ホントに賭けのように、イチかバチかのやっつけ仕事になった。
このやり方でなんとか失敗なくできると、ますます本舞台そのものがお稽古いいかげんの、イチかバチかになってしまった。
まったくわれながら呆れた変わりようである。

会が終わると、若い人は一生懸命練習しても「あそこができなかった、ここができなかった」などと反省しきり。
ところが私も含めて高齢者となると、舞台から引き揚げてきて、
「何とかできた。まあまあだ」と満足そう。
自分の失敗にものすごく鈍感。また失敗と認めたくないし、自分をだましていたい様だ。
すぐ忘れるのかな?
体力衰えて失敗しても心の方に響かないように、楽しみを続けて出来るように、まるで神様が心配りをしているようだ。

私にしても、頭で分かっていても体がきかない。辛くて、大会前までは、もう来年はお稽古止めようと本気で思うが、終わったとたんに来年は あーしよう、こーしようと思い巡らすから笑ってしまう。
体力・脚力・そして意志の力、絶望的になったとしても、年をとったということは強いというか鈍いというか、なんともありがたい神様の配慮である。

しかし年をとって力がなくなって、何もできないか? できると思う。
頭の中で若いときには読めなかった、そして描けなかったイメージを、今まで飼い慣らしてきた筋肉を何とか使って、気迫で舞っていく。そんな大先輩(素人玄人を問わず)何人も見てきた。

年取ってのずうずうしさだと思われようが、若い時に出来なかった何かを、自分のものにして表現したいと思う。もう少し私にも出来ることがあるように思う。
頑張ってみるか・・・ちょっと悩むこの頃である。
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