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リハビリ病院 秋

2006/07/31(月)

闘病日記 (12)

平成15年9月5日(術後11ヶ月)
病前より10キロは太り、M寸が皆L寸になった。
先生回診で
「肥えたな? 運動しなきゃダメだぞ?」
「肥えていません!」  ありゃーまあ、口答えしてる!

9月8日
言語SPの先生
「4階の病室と1階のリハビリ室の往復は、出来るようになったので、5階のSPのリハビリを挟んで、往復する練習をしましょう。お互い連絡とって見てますから」 と。

翌日:「5階から1階に行くはずが、来てませーん!」
   5階EV横の、ラウンジのテレビを見ている息子発見!
   「1階リハビリ終わったのに、4階ベットに帰ってきません!」
   1階ロビーの、テレビの前の息子発見!
通りすがりのテレビを見たとたん、どこに行くか忘れている。

大騒ぎしたが、その翌日、翌々日もOK、
心配したが、なんとかなるんだ! \(^o^)/できたーばんざーい

9月12日
先生回診
「土曜、日曜の外泊は、本人をお客にしないよう。おかあさんはベッタリだから、少し手を離すように」と 言われてしまう。

その時はカチンときたが、家族二人、ついつい手を掛けすぎたようだ。

9月15日
リハビリの往復が出来るようになったので、朝7時を10時に行き、午後1時までおり、また3時に行き散歩、夕食、入浴済ませて帰る事になった。
「大丈夫、できるから! まかしとけ?」 という。
11ヶ月ぶり、少し手抜きが出来るようになった。

9月16日
10時病院行き 第1日
「朝 看護師さん来て、今日からお母さんは朝来られないよーと きびしかったよ?」 という。
9時のリハビリ行きが分からず、先生が迎えに来られたらしい。
夕食後 婦長さん来られ
「出来る! 出来る!」 と励ましてもらう。
看護師さんばかりでなく、まわりの患者さんにも本当にお世話になる。

朝のハミガキ、洗顔 ひげそり忘れてリハビリに行き、昼食後やっとしたり、リハビリのシューズはかないで、つっかけのままだったり、いろいろ失敗の連続だったが、少しずつ出来るようになった。
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リハビリ病院 盛夏

2006/07/29(土)

闘病日記 (11)

平成15年7月28日(術後9ヶ月半)
朝でも夜でも誰彼なしに、「おはようございます」の大声の挨拶は、影をひそめ、ちょっと会釈するようになった。
子供が少し大人びたかな?という、雰囲気が出てきた。

8月3日
日曜日 スーパーに買い物に行く。
入り口ですぐカゴを持ち、後ろから買い物を持ってくれる。
人とぶつかりそうになると、背中をちょっと押し合図してくれる。
ビニール袋を持っていると、後ろからヒョイッと持ってくれる。
先日まで「カゴ持って、ついてきて・・」 言わなければ出来なかった。

しかし今日の感じは、訓練の積み重ねというよりも、病前の体の記憶というか、性格が戻ってきたような気がする。どうぞ長続きしますように。

8月9日
土曜日 外泊 リハビリになればと、通販のカラオケを買う。
題名を見てもあやふやだが、音が鳴り出すと知っている曲か、そうでないかは、はっきり分かり、張り切って歌いだす。
ノリがイマイチだが、パーフェクトが出てマンテンご機嫌!(→カラオケブログ)

8月12日
会社の給料、障害手当、高額医療の払い戻しなど、本人の普通預金に自動的に入金になっていたのが、カードはあっても暗証番号が分からなくて使えない。受け付けで、印鑑使用と時間待ってということになる。
カードも本人の署名がなければ、変更が出来ない。
たぶん暗証番号が入っていただろうパソコンも、パスワードでロックしていて分からない。
結局3年たって、本人が署名し、やっとカードを変更する事が出来た。
   本当に突然、なにが起きるか分からない。

8月15日
うら盆会、外泊、賑やかさにつられて、盆踊りに行く。
カラオケとか、特に盆踊りなど絶対に出なかったのに、私の後から見よう見まねで結構踊っている。
楽しんでいる。照れくさい、遠慮するなどの感情はまだない。
素直に意欲が出ますように。

8月25日
2,3日前調子悪く、計算したり日記書くのに苛ついて
「このボケた頭 どうかしてよ??」 などという。

今日は体調いいのか、リハビリ室に行くのに
「7分前だから いきます?」 と自分で出て行く。
リハビリの先生
「この頃は頼んだことが出来るし、ベットにも自分で帰れるようになった」 と。  
少しずつ目が離せるようになった。

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リハビリ病院 初夏

2006/07/26(水)

闘病日記 (10)

平成15年7月3日(術後9ヶ月)
時々の印象深いエピソード記憶は、少しづつ出来てきたが、年月日、何病院?何階?何号室?なかなか憶えられない。

今日は右手に(ベット4F○○室)
左手に(△◇病院) とマジックで書く。 びっくりする位喜ぶ。
「さあ ベットに帰ろう 何階かな?」
「ウ??ン あーー」
「手!」
「4階だ??」 と大声。何回も何回も 手! 手! の連発!
やはり毎日訓練した記憶を引き出すよりも、その場で目で見るキュー出し、視覚の積み重ねが近道のようだ。
その夜入浴でマジックが消えても、翌日なにが書いてあったか憶えていた。しかし自分から手を見るようになるには、時間がかかる。

7月6日
お腹痛いと少し下痢気味。
「腹痛くて?死ぬ?・・」
「あんな大きな手術で助かったのに、腹痛ぐらいで死にはせん?」と私。
「腹痛ぐらいでは 死なして貰えんな?」
「??・・・・」
   例によって広いトイレの中での話。

また 2,3日後、人の問いに
「痛い、痒いは分かるが、苦しいのはどういうのか、分からんわー」
  なるほど・・・むずかしい。

7月9日
私は、朝7時朝食から、夕食後7時ベットに入るまで、息子の目の届く所にいるが、今日は午前中所用で、看護師さんに頼んで留守にする。
午後来てみると、予期したとうり、柵で出られないようにして、ベットに入れられている。
8人部屋なので、落ち着かないのと、体を使わないのでウロウロするようだ。
早速散歩、大回りして疲れて帰る。
毎日1回外を歩いたり、大声で歌ったりで気分も落ち着く。

7月15日
病院内で映画会。『鬼平犯科帳』
動きがあるから、筋が分からなくても楽しむように、出来ている。
患者さんたち、皆嬉しそうに見ておられる。
息子は時代劇は、大嫌いのはずが、ニコニコで夜、日記に題名などよく憶えていた。(今やっぱり大嫌いで受け付けない)

7月20日
昨夜は大雨、雷。 朝止んで、トライアスロン傘さしてゴール見に行く。
大声出して応援していたが、夕食後、日記であれこれ思い出して書こうとするが、思い出せないのに苛立ち、怒り、涙ぐんでいる。
自分の情けなさに怒っている。

すぐ落ち着くが、感情的にも複雑になっていくようだ。

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リハビリ病院 保険請求

2006/07/24(月)

闘病日記 (9)

平成15年7月2日(術後8ヶ月半)
保険について参考になるかも・・・書いておきます。
息子は三大疾病(がん、急性心筋梗塞、脳卒中)保険に入っていました。
病状が一段落した頃、保険会社に保険の請求。
早速係りの人が病院へ来て、
「脳動靜脈奇形(AVM)は、三大疾病に該当するかしないか、診断書を書くのに、いろいろな先生がおられますからね?」
そして、立って、歩いて、話をする本人を見て
「この程度では出ないと思いますけど??・・・」

言葉は柔らかいが、あきらかに出し渋っている!
AVMは、脳卒中に該当するにきまってるだろ!と思ったが、言い合いしてもしかたがない。
「診断書料も高いですから、書くとおっしゃれば書類持ってきます」
「じゃあ、先生に聞いて連絡します」 と。

「先生、保険なんですが、AVMは、脳卒中に入りますか?」
「はいりません!」・・・エーーッ 
強くはっきりおっしゃいましたねーー・・・そんなわけねぇだろ!!
ここでケンカしてもしかたがない。

すぐ 前の救急病院の担当医の所に行きましたねぇー いとも簡単にあっさりと。
「入りますよ、書きますよ」 と。 つづけて、
「今の担当の先生が書かれるでしょうけど・・」
「ウーン それが??モグモグ・・・」 すぐ察して、
「いいですよ 診察にいらっしゃい」,,,,,それで終わり。

保険屋に診断書の書類請求、本社が送ってこないとスッタモンダ1ヶ月待たした挙句
「請求しても下りないと思いますけどねぇ? 審査しますからねぇ?」
ちらちら上目遣いにこちらを窺っている・・・コイツーマダイッテルー
                        !!(・へ・)!!                     
書類に診断書そえて保険請求。すぐ送金してきました。満額。。。
再び後始末の書類書きにきた保険屋さん、ガラリと低姿勢で。。。
かけひきというより、ホントに知らなかったみたい→勉強しろ!

しかし、該当しないといった医者のいたことも事実→あまり信用してなかったのが、不信感の塊になりましたね、まあ 表面は何事もありませんけど,,,,,ネ

自分の得た知識で納得いかなければ、納得するまで進んでみよう!
一応 右見て左見てしながら・・。(ささやかな教訓でした)

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リハビリ病院 梅雨

2006/07/22(土)

闘病日記 (8)

金曜、土曜と泊り、2泊3日の外出許可になった。
まだ声掛けしなければ積極的に動けない息子に、パン食位は出来るようにと、朝食の用意を手伝わせる。(→朝めし当番ブログ)

平成15年5月29日(術後7ヶ月半)
新聞の漢字は読めるが、内容が難しければついていけない。
中学1年用の読書の本を読む。
最初自分で読むが、同じ所を私が読むと内容が分かってきて、また読みたがり、今度は気分出して表現力ゆたかに?読んでくれる。

目で見て読む機能と、意味が分かる機能と、バランスよく表現する音楽的な部分とは、まったく別の分担なんだー なるほど??
日記に 楽しかった?? と書く。

6月5日
加算は古い記憶か、体が覚えている感じで出来るが、やはり引き算は難しい。
指を折って、子供のように数えようとするが、右手の指は、思うように数にあわせて動いてくれない。それを左手が補おうとするので、よけい混乱しわからない。
とうぶん口で1234といい、右の指と合わせる事からやっていこう。(→右利き左利きのブログ)

6月15日
外泊、日曜日朝6時半、まだ寝ている私を見て
「相変わらず 朝ゆっくりですね??」 自分から、自分の言葉で皮肉っている。びっくりだー
病院で、ちょっとした行き違いで周りの人が心配した時、息子のせいではないのに、
「迷惑かけてすみません」 と私に言う。
「何か分からないけど、迷惑かけたことは分かる」 という。
・・・その場の雰囲気が読めるようになったのかな?。

夕食後、病院に帰るやいなや詰め所で
「ただいま帰りましたー。何も変わったことはありませーん」 と。
   わたしもウキウキ??ヽ(^o^)丿ソノチョウシー

6月25日
雨降り、蒸し暑く、傘さして海辺に散歩。展望台というか、あずまやで勉強とおやつ。
本読んだり、算数は1桁の暗算が出来るようになった。
ここは屋根も壁もそして、テーブル、ベンチもあり、時々浮浪者の人が寝泊りしている事があった。その時もそれらしき人が入ってきて、離れたベンチで横になっておられたのは、分かっていたが・・・

しばらくして雨もやみ、帰ろうとすると
「にーちゃん これ 読めやー」 と手にマンガ本。
「ありがとうございまーす」と息子大声。 不意をつかれて、思いがけない親切に 涙が出そうになった・・・。 

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リハビリ病院 若葉

2006/07/20(木)

闘病日記 (7)

平成15年4月27日(術後6ヶ月半)
日曜日外泊のついでに、メガネの視力検査してもらう。
いろいろ聞かれても、きちんと返事が出来、
「元気で大丈夫じゃないですか!」 とメガネ屋さん。あとで
「今日は頑張ったね?」 というと
「う?ん 頑張ったことになるの?」・・・なるほどリハビリ訓練じゃないのにね。少し考えるようになったかな?
・・で 結果はほとんど視力低下はなし。人との会話は凄い集中力で本当になめらかにいく。
他人さまの中に出さなければと痛感!!

5月3日
連休で昨夜から3泊4日の外泊、1日1回夕食後服用の薬が、1回分足りない!!。
大慌てで探すと、自分で昼食後に飲んで袋をゴミ箱に捨てている!。
今まで病院で1回分づつの手渡しなので、食後が昼か夜か分からないのだ。
薬には日付をいれ、日めくりのカレンダー(自分で作る)と連動させて、全部自分で管理するようにする。・・今もずっと続いている。
幸い抗痙攣剤を1日2回分飲んだが、何事もなし。。。(ーー;)ヤレヤレ

5月11日
数の意識は難しく、この頃やっとオセロの石が数えられるようになった。
ノートの上の計算とオセロの石の合計が、同じ事だと少し分かってきた。今朝は自分から算数をするという。
こちらの言い方でスラスラ出来たり、まったく分からないの連発だったり、まるで回線がついたり切れたりしているような・・頑張りにかわいそうで涙してしまう。ゆっくりいこう?。

足し算はまだいいが、引き算の概念にはまったくお手上げだ??。
食べるのも引き算、隠しても引き算、盗まれても引き算・・???
地球も☆1つ、豆も○1つ、同じ1つ・・???
これ考えた昔の人はすごいね??なんて2人で頭おかしい・・???

オセロの石を左手はしっかり数えるのに、右手は宙に浮いて数えられない。いくら集中しても、注意散漫分からない。説明にしっかり頷く時はこれから左手でいこう。(→右利き左利きのブログ)

5月23日
10時OT終了後笑って出てきてご機嫌。
「なーに?」「ウーン 忘れたー」 1時間ぐらいして話しているうちに
「パソコン1からやりなおし! 1から鍛えなおす!」 といわれ、別れるときに大笑いしたという。思い出した??\(~o~)/ヤッター

年月日はだめだが、新しい出来事(エピソード)の記憶は少し出来てきたー。
その調子で行きまっしょい。

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リハビリ病院 春

2006/07/18(火)

闘病日記 (6)

平成15年4月1日(術後5ヵ月半)
散歩にまだ寒い日もあるが、お茶とおやつ持って病院のまわり、1時間位の散歩。自分でなにも出来ない事が、少しずつ分かるようになり、何時も私の顔を見て後ろからついて歩く。
不安感からか、笑顔もすこし少なくなり、時折見せる記憶のかけらも、影をひそめ、全体的に沈静化したようになった。

4月6日
散歩の脚を少し延ばし近くの公園に花見。まだ桜に興味はわかない。帰りも休憩しながら歩く。
記憶力いいかな?と思うと下がったりで、2つが限度。
何回もいうと、ワカリマシタ??と大声で言う。感情が少しずつ出てきた。

4月8日(6ヶ月)
半年振りの入浴記念日。いままでは椅子に座って、シャワーで流してもらうだけのお風呂だったが、歩くのが大丈夫と見て入浴許可になった。
しかも温泉! 歩行コースのついた大浴場。・・私の付き添いが条件。
訓練(身障者の方だけ)の終わった夕方から、毎日入る。私もゴムの前掛け、ズボンの裾をたくし上げて、2,3人の相客あっても張り切って入る。息子は歩行コース3回もまわって、くたくたになりながら大喜び。\(~o~)/

4月13日
日曜日。初めての、午後半日帰宅許可。床の段差、トイレの場所など体が覚えている。感激というより、当然の顔をしている。久しぶりに車の往復で、気分悪く、早めに帰院。

4月16日
38歳の誕生日。皆に祝ってもらって嬉しそう。
この頃 おはよう こんにちは と愛想よく、散歩でしりとり。
「白い雲がきれいだね? どこに?」
「空にある?」
「一人乗りのヨットか??」
「ウインドサーフィンだ?」・・・交代で好きなこというだけ。ほんとのしりとりはまだ出来ない。
白波立つ海・・サーフィン、ウインドサーフィン、これから水泳、釣り人、漁り火
大山をバックに河・・白鷺、鴨、おしどり、北帰行に帰りそびれた白鳥がいたけど、無事帰ったかなー
海岸線につづく松林・・はまひるがお、はまむぎ、はまえんどう、はまぼっす、はまごう・・・はまぼうふう・・いくら探してももうない。

河土手でおやつ食べながら話してるのに、2メートルの近くで、鴨のつがいが昼寝中。入院忘れて眺めていた。

九九(4×7 むずかしい) あいうえお、パズル、オセロなど。

4月24日
軽いオムツをしていたが、心配なくパンツにする。夜中でもポータブルトイレではなく、自分で病室外のトイレに行けるようになった。

前の土曜日 半日帰宅 カラオケで歌ったり、広い場所で走ったりご機嫌。問題なし。
病室でも300ピースのパズルに熱中、夕食はーたべない! などという。

4月25日(金)?27日(日)
初めての外泊許可。金曜日夕食後、病院出発し、日曜日夕食後に帰院する日程。めだった失敗はなく、思ったより外泊は順調にすごす。
つい好きな食べ物にかたより、反省反省!

限度の2泊3日を、毎週10月の退院まで続ける。

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リハビリ病院 続

2006/07/15(土)

闘病日記 (5)

介添えの要る人の部屋から、介添えの要らない8人部屋に移る(4階)。いずれにしても高次脳は息子だけ。先生も看護師さんも手探りのようだ。

3月10日(術後5ヶ月)
週に2回ずつ機能、言語、作業のリハビリ受ける。
歩けるのがうれしいらしく、すぐ疲れるが自分から歩くと言い出す。
5階の休憩室で膝の軽いスクワット、歩行練習。

病室で名前、住所、生年月日、年齢は毎日練習。日記は言語リハの宿題。
雨さえ降らなければ車椅子で散歩。ベンチに腰掛け、声出し本読み、ゲーム等々。
夕食まで外で過ごす。

3月14日
やっと私が同行を条件に、歩行許可がおりる。
4階の病室から1階リハビリ室にエレベーターで何回も往復。やはり疲れるよう。少しずつ少しずつなれなければ・・・

会話も、相手の言葉を間髪をいれず繰り返す、オオム返しの癖もこの2,3日はひどい。
・・・言語リハの先生「オオム返しはやはり状態が重たいですね?」 
いまさら言われてガックリ。。。。  今までがなかなか物が言えず、口数が多くなっただけでもよしとしよう。

3月19日
ベットが8人部屋の一番奥にあり、トイレ、洗面所は表示があるから行けるが、帰りの部屋の入り口、自分のベットがどこか分からない。
看護師さんが綺麗な折り紙の傘を、2箇所に目立つように吊り下げてくださる。
まだ一人では歩けない。私が常に一緒に歩き、洗面所でもトイレでもその手順を教えなければ出来ない。病院側もまわりの患者さんも事情が分かってきて、随分助けていただくようになった。

3月24日 
病院横に広い松林の公園があり、松かさをボール代わりにキャッチボール。
手首きかず遠くに飛ばない。でもうれしくてしばらく遊ぶ。脚も少しずつ強くなってきた。

3月29日
なんでもない事にすぐ「ゴメンナサイ」という。自分がヘマして迷惑かけているのが分かってきたような・・・
3日ほど旅行した友人が、前後に見舞いに来て、歩き方、顔の表情、会話が3日間でも、随分しっかりしたと喜んでくれる。

記憶は相変わらずだが、会話の反応もよく、言葉も多くなった。

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リハビリ病院

2006/07/14(金)

闘病日記 (4)

平成15年1月20日 
救急病院から約3ヶ月で、リハビリ病院に転院する。家族は泊り込み出来なくなり、夜間の排尿もトイレに行く方向になっていたのに、またオムツに逆戻り。
1ヶ月間の格闘で、夜間やっとベット横の簡易トイレで出来るようになる。

2月14日(術後4ヶ月)
バレンタイン・・・チョコレート何組も頂き、会話も調子よく、その場でははっきり名前も思い出すが、帰られたとたんお客のあった事も思い出せない。しかし次には思い出せないことも忘れる訳で、上機嫌でチョコを頂く。

2月22日
7.2?7.4度の体温が普通になり心配だったが、先生は
「そんな人もいますね? 発熱に入りませんよ」 と。
微熱2週間続き、この3日ほど疲れ気味。
意識せず立ち上がったり、いらだって怒ったり、囁き声したり、感情的に起伏ある感じ。(すこし回復の過程のような気もするが・・・)

食事が来る。目の前に箸があるのに、毎日出来ていたのに、
「今日は右手に何持つの?」 と聞く。
「なにかな?? 手で食べないでよ?」
「子供に言うようなことをいうな!」 といらだって怒る。
周囲を見させてすぐ箸とわかるが・・・

「だいぶ言うことが 少しづつ形になってきたね」 といへば、
「ありがとうー」 とうれしそうにいう。

2月28日
この2,3日どうも機嫌が悪い。「どうした?」「何故かはがゆい!」 と。
夕方、トイレの中で(外の環境は申し分ないが、院内は本気で話せる場所がなく、物入れを兼ねた広いトイレでいつも話をした気がする)
「あなたとは気が合わないな?」 という。
「あなたは病気なんだから、あれこれ言わなければ出来ないんだから、治るためには一生懸命やらなければ仕方ないんだから・・・」

「ウンウン」・・分かることは集中して聞いている。すぐ忘れるが・・

トイレの帰り道 突然自分で車椅子動かし
「好きなように行く」 という。 時々ついて来るかと後ろを振り向きながら動かしている。
初めて自分から動き出した。

3月1日
熱6度台になり、笑って穏やか。気持ち安定し、意識、情緒がすこし帰ってきたような。
夕方 自分から歩くといい、車椅子降りて押して歩く。

3月5日
体調がいいと日記に「今日は病気0」 と書いていたのに、
今日は調子悪く日記に「あいうえお」 と。

3月6日
言語リハ終了後「今日はえらい事したで?」 何? 「覚えていない」
といっていたが、日記には
「入試があった。天声人語を読んだ。楽しんで読むなんてこと出来ない」 と書く。覚えていた。
昨日まで怒っていたのはストレス溜まっていたのかな?と話し合う。

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救急病院 続

2006/07/09(日)

闘病日記 (3)

車椅子で院内を散歩していたが、この頃は体調よければ院外に車椅子で散歩、買い物など。

2002年(平成14年)12月22日(術後2ヶ月10日)
二本足で立つ練習から、歩行器での二足歩行になる。
名前を書く練習、手本をなぞって書くが難しい。

12月26日
ベット下のシューズをはこうとして、前に突っ込み眉尻を切る。6針縫う。
まだまだ体のバランスがとれない。油断だった。反省。

12月30日
名前の練習・・・手本見て、左手はすぐ真似できるが、右手は迷って書けない。頭の中の字と違うという。鉛筆の先でそーっとノートを前に押し、
「しんじまえー」 という。・・・6日後にやっと名前1回書ける。

平成15年1月8日
CTで視野狭窄があるという。眼科受診。やはり右目右側半分狭窄あり、左目も萎縮あり。右側に並ぶと見えない。定期的に検眼する事と指示される。

1月12日
古い知人の名前は少しずつ思い出す。年月日はさっぱり分からない。
テレビで競馬を見た後、名前聞かれて
「私の名前は4?6です」・・・自分の名前も安定しない。

1月20日(術後3ヶ月10日)
二足歩行で歩けるが、まだまだ車椅子。リハビリ病院に転院。

ひらがなは書けるが、数字は書けない。数えることが出来ない。
ドクター・・・「いつもニコニコ多幸的の状態で、悲しみ、怒りはこれからですね」 と。

2月3日
名前を書く練習している・・・ひらがな 漢字の間にローマ字で書いて、どうも違うと迷っている。正しく聞いて直す。
「ヒゲソリ使って・・」「オートシェイバーだ」
「リハビリの前にトイレに行ったら?」
「トイレはスルーだ。そんなにオシッコに興味持たなくていいだろ!」

トンチンカンな会話の中に、急に真面目に友達のこと、勤務のこと、家の事など正気の顔になって話し、びっくり!!

友達、勤務先の人たち、親戚はもとより、入れ替わり立ち代りの見舞いがなによりの刺激で少しずつ良くなっていくようだ。

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救急病院

2006/07/07(金)

闘病日記 (2)

2002年(平成14年)11月10日(術後一ヶ月目)??
膀胱炎、血管造影で水痘症・・・大したことなくクリア
腕をのばすと痛そうにする。
「痛いといってごらん?」 両手喉にやり 口がきけないというしぐさ。
口の周りのマッサージを指示され、続ける。
額の左半分から 大粒の汗出して寝てる。(初めて)・・・5日目には額全体からうすく汗をだし普通になる。

11月15日?
アイスクリーム2口から始まり、プリン、茶碗蒸し・・試食、むせない。
囁き声で、おはよう、かゆい、あついんだ、ぬぎたいんだ という。

11月23日(42日目)?
上から吊り下げられてネットのお風呂・・凄い疲れた顔。
鼻腔チューブ取る・・高栄養食と併用だったのが、おかゆ食べられるようになり、3食とも粥食、水分はジェリー状。食欲あり完食。

11月29日?
「おはようー」・・はじめて声が出る。
消化不良おこしたり、疲れたりしたが、OTで立つ訓練はじめる。

12月5日?
障害者箸(軽くてバネがついている)になれて、自分で右手で食べ始める。のむジェリーを片付けようとすると
「よけいなことを するな!」 「ここへ置いとくの?」
「おいといて!」 と。
ボーとした顔つき、小声でまったく迫力はないが、食べ物には反応が早い。

12月8日?
よく知った見舞い客の名前が出ず、イライラ、やっと出て何回も言う。
職場の人は覚えているが、私を指されると、近しい人だという事は分かるが、「ヘルパーさん」「お手伝いさん」などという。

頂いたオルゴールを鳴らす手順を、何回も教えてると、
「いつまでやってんの?」 また
「おしっこが出たらいってよ ちゃんと替えるから」と私
「おしっこでたなんて  (恥ずかしくて)いえないよ?」・・・返事ができる!!
「なにいってんだー 皆口きけないと思って心配してんのにー。それから、
人の挨拶にはちゃんと返事しなけりゃダメ!!」 どやしつける (・へ・)!!                       
翌日少しは刺激になったのか、先生の回診に「おはようございます」・・デキタ!

12月12日(術後2ヶ月目)
言語リハビリ・・・最初はなに言われても、なにされても反応なし。
ほかのリハビリの先生には オハヨウが言えるのに、言語の部屋のドアが見えたとたん、居眠りしそのまま。終わったとたんパッと目が開く。今日はハサミを右手で使い、鉛筆は右手に握らされると、左手で持ち直しそっと返す。それっきり・・・
どうも話されるのが難しいのか、拒絶反応をおこしている。

その後は一人で部屋に入らされ、少しずつしゃべり出した。

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発病 手術 

2006/07/04(火)

闘病日記 (1)

今までその時々の看護を書いてきましたが、やはり病気の経過を一応
記録として、書いてみようと思います。

2002年(平成14年)10月11日
昨夜12時頃 ひどく疲れた様子で帰宅。
後から職場の人に「頭痛がするけど風邪かな?」 と言っていたと聞く。

午後4;45分頃 勤務中に倒れる。
右半身まったく動かず、左半身は痙攣し吐瀉物があり、意識不明。
すぐ救急病院に。
CT、MRI検査で左前頭葉脳動静脈奇形破裂による脳内出血と判明。
瞳孔開き意識は最も重く、すぐ摘出手術。夕方6時?明朝4時まで。
近しい人を呼ぶようにと。危篤状態を宣告される。

10月12日?15日
集中治療室・・・先生「左前頭葉を取っているので、助かっても右半身不随と言語障害知能低下が心配です」 と。
薄く両目開け、手が動いており、調子がいいと喜んだが、
7時には発熱、血圧上がり、顔腫れてきて、動かなくなってしまった。

高熱(看護師さん隠すようにして見せられない)解熱剤と氷
血圧 脳圧あがり顔はれる。呼んでも意識なし。

CT検査 栄養剤に降圧剤ステロイド高単位に点滴。

10月18日(8日目)
危篤状態やっと脱出。点滴様子見ながら高栄養の鼻腔食になる。
意識は全くなし。周りの者の呼掛けにも、看護師さんのゴメンゴメンと
いいながらの内股のツネクリにも反応なし。(青あざになるほどだった)
集中治療室から個室に移る。

10月22日
酸素チューブ外しカバーになり、痰の吸引が少し楽になる。
血圧安定したと降圧剤点滴中止。夜にはまた高くなかなか安定しない。
今日から四肢折り曲げの(関節が固まらないよう)室内でのリハビリ始まる。

10月25日?31日
鼻腔チューブより高栄養食、流動食、服薬するようになり、酸素カバーなくなる。痙攣するように手足は動くが、意識はなし。
2日後MRI検査するが、意識の出ない原因が分からない。
意識なくても動かしましょうと、ベットを立て少しずつ座らせる。
目をうすく開けているが、動かない。

11月5日(26日目)
常時7度?7度8分熱があり、呼んでもまったく意識はないが、車椅子に座らせて見ましょうとドクター。真っ直ぐに座らせる。人影の方に目が動き、指が動いた。皆が
「車椅子デビューだ? よかった!!ばんざーい!!」 と。

11月6日
車椅子で看護師さんと足洗いに風呂場に行く。
「気持ち いい?」 うなずいたという。
車椅子でリハビリ少しずつ、PT,OT、ST、3種類が始まる。

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右利き 左利き

2006/07/01(土)

先日 息子のこれまでの経過を話す機会があり、術後から今、3年8ヶ月になる日記を改めて繰ってみる。

脳動静脈奇形が破裂、大出血のため左前頭葉一部摘出手術しているので、記憶障害 読み書き計算の失語症、等の高次脳機能障害あり。
身体は右手、右足がまったく動かなかったが、3年8ヶ月の今、両手両足ほとんど変わりなく動く。

80日目
簡単な文章は読める。
名前の手本を書き、右手で書かせる。(もちろん病前は右利き)
迷った感じで書けない。頭の中の字は手本と違うという。考えていて書けない。左手はすぐ真似をしてスムースに書ける。

100日目ぐらいに右手でやっと名前 真似して書く。
120日目右手で練習した、住所 病院名書く。
  その後書けたり書けなかったり、なかなか安定しない。

90日目数字を書かせて見る。
手本の真似は、やはり右手より左手が出来るが、書いている数字と物を数えるという事が結びつかず、これは先送り。

150日過ぎ おはじきを数えてみる。
右手・・・口は滑らかに早口で12345・・と数えるが右手は全く関係なく上滑りして動いている。
左手・・・口と手が一緒にゆっくり数えている。

今 訓練で字は右手で書くが、朝は体調もよくはっきり大きめの字が書ける。夕方は字は小さくうすく弱弱しくなる。体はそうでもないのに、脳のほうが疲れ切っているらしい。

こんな時「ゆっくり大きく絵をかくように書いて!」 というとまったく違った線できれいな字を書く。
友達に凄い乱筆なのに、とても習字の上手な人がいた。・・同じかな?
文章とか意味を考えての左脳から、形や空間で字を見る右脳に移行したということか?

初めから見当がつくことなのに、現実を見てやっと、左の脳の障害で右利きの機能が落ち、左手の機能がはっきり前に出てきたのが分かる。
体の反射的な動きとか、力仕事はもとの右利きのままのようだ。

左利きのこといろいろ調べてみる。くわしくはこちら↓
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/ir-ninshiki/lr-undou-kankaku.htm
字を書くとき、右利きの人は右手で書くと、早く正確に書く。左利きの人は左手で書くと早く正確。
点字を読む時、右利きの人は左手で触って読んだ方が早い。左利きの人は右手で読んだ方が早い。
三味線やバイオリンは、撥や弓は利き手(右手)が持ちツボを触るのは非利き手(左手)になる。
利き手(右手)は、力や道具を使う単調な仕事に向いており、非利き手(左)は、触る感覚、空間的認知能力に向いていて、つまり 運動の利き手(右手)と感覚の利き手(左手)は逆になる。

また統計的に見て 話をする時右利きは、左の脳を90?95%使っている。左利きは左の脳を60%使っている。後の40%は右脳と一緒に使っている。
言語能力、空間能力のように両方の脳にある場合は、右利きよりも左利きの方が、より両方の脳を使っているということになる。
だから乱暴ないいかたすれば、右利きは左の脳しか使わないが、左利きは両方の脳を使うということになる。

左右で役目があるが、決定は両方の脳が総合して、バランスよく働いて実現するわけで、左利きで両方の脳を鍛えて活かして行けばいいわけだ。
これは息子の話ではなく、ますます脳の萎縮が進んでいく私のことなのだ。せいぜい左手を使って老化を遅らせるとしよう。

今隣で息子が脳トレの中のゲームをしている。色つきのカプセルを、指先に持ったスティックでころがして、鬼退治をするゲームである。右手でしている。
「ためしに左手でしてみて?」 スティック持ちかえる。
なんなく変わりなく続けてやる。
「両手どっちでもいいよ」 という。
右手は私のほうが上だが、左手はかなわない。

知らぬ間に 両方が使えるようになっている。

また ストループテストというのがある。
赤緑黒青の字が違った色で書いてあり、字を読まないで色をいうテストである.
息子は色は常に満点(右脳)だが字は(左脳)四苦八苦。
しかし字を言うテストはない。
またオセロのように、考えて手を使う時や、新しい経験をする時は、必ず左手が先に出て、右手はじっとしている。

   ほんとに面白い!!

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