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葬式に行く

2009/08/08(土)

古い友達で、ここ10年ばかり 思い出したように電話しあっていた友達が、亡くなった。3年位は認知症も進み、しっかりしたあの人がね?と噂していたら、昨日97歳で亡くなった。

いつも青空も抜けるような大声で笑い、明るくて陽気、いつまでも若々しい人だった。ちょうど親子ほども違うのに、おかまいなしの付き合いで、時には年下のように可愛らしい人だった。

お葬式と聞いても若い時のように、全く生まれる前の無に帰るとは思わなくなったな?。あの人も此の人も逝き、賑やかに謡などうたっているのかな?などと。三途の川も短くなり、彼岸も世間話になり、隣町ほどに身近になったな?・・・と。時間を待ちながら、とりとめもなく思ってみる。

後ろの席から「死ぬことなど ちぃーっとも恐ろしい事はありませんわァ!胃に2つ3つ出来ていて、これから検査ですが、他の人と違って笑って死ねますわァ!」・・・老年の男の声・・用意万端死を待つばかりなのか、葬儀場で人に宣言しなければならぬほど小心者なのか? 

やがて定刻5分前 葬儀場の若い女の人が、故人がいかに生前陽気で、力いっぱい元気に生きた人だったか、・・・紹介のナレーションが入る。 内容とはうらはらに、しめやかに、消え入るような低い声で。ドバーーといっぺんに隅から隅まで葬儀色の鉛色に覆われた。

う?ん 女の人の作り物の声色も、鉛色の雰囲気も、いやだなー?
彼女は喜んでくれるでしょうか? (ビフォーアフターの声色で聞いてみる)
「またケチつける! ウルサイことはいわないの! ハッハッハッハ?」 壇上の彼女笑ってる。
私の時は声明の大合唱か、謡の「江口」もいいな?、(テープで結構!)娑婆の経歴は無しで、ひたすら無事彼岸に着けるよう祈ってもらいたい。地獄極楽は閻魔さまの匙加減、祈っても仕方あるまい。

葬儀が始まった。壇家寺の和尚さんと副の和尚さん入場。なぜか副の和尚さんの前だけマイクが立っていて、和尚さんが動かれるたびに、お経が飛び跳ねたりうねったりしている。少々の悪声はいいが、どうも発音が下品なのはいかん! お寺さんの声は、夢うつつの中に、極楽行きを予感させるようであってもらいたい。・・・なんて・・私のうちのお寺さんは大変な美声で、知らぬ間に来世に引きずり込まれそうな・・・変な自慢?

まあ 今日の仏は和尚の声がどうあろうと、私達がなに話そうと、何の迷いもなくまっすぐに極楽に行くのだろう! お願い!隣の席予約しといて?? 気が向いたら行きますから??

(声も電話も届かない所に行ったんだね??)
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交差点

2009/01/09(金)

いつもの2車線を走って行き、次は4車線の交差点だ。シグナルは赤。右折したい。こちらは右ウインカーを出しながら、停止線一番前に止まる。対向車は直進のようだ。

青になった、交差点の中心で待つ。対向車は私の右側をすれ違いながら直進する。当然だ。次の車はウインカーも出さず、直進のようなのに、停止線から動こうともしない。??

エンスト?まさか今時?気配なし。また一瞬待つが動かない。
えーッ? こちらが『枯葉マーク』つけているから、いたわるのかな?
じゃ? ありがとさん! (手をあげてお礼した方がよかったかな?)
自問しながらゆっくり右折。

バックミラーで見ると自動車学校の車だ。ゆっくり直進している。。
「枯葉マークだ。いたわれ!油断するな!なにするか分からん とにかく先に右折させろ!」 教官の声が聞こえたような・・・

高齢者マークをつけていると馬鹿にされる!とよく聞く。私自身はそれよりも、親切にしてもらったなーと思う方が多いのだが・・・。75歳にはチョイ間があるが、70歳の更新の時、なるべく付けて下さいよ?の言葉に、以来つけっぱなし。

しかし今日の親切はどうもね??
いろいろ思考めぐらしモタモタすれば、後続の車に迷惑だ。直進車は前車に続いて直進すべし。ルール通りに動き、その上でマークつけていることを考えていただきたい。

待てよ!自動車学校の文字みたとたん、なにするか分からん!油断するな! と考えなければならなかったのは、私の方だったのかな???

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12月1日 もみじ

2008/12/01(月)

今年は、庭のもみじの紅葉が、薄墨をかけたように、色がにぶい。
いつまで眠っているのか、眠ったまま散ってしまうのかと思っていたら、今日は久しぶりの上天気。秋晴れのような暖かさに、いっぺんに花が咲いたように、真っ赤に燃え立った。

庭をはきながら、ふと門柱に人の気配。見知らぬ中年の奥さんが、買い物袋を片手に
「きれいですね? まだ散ってないんですねぇ」
「え? 今年は遅くて やっと今もみじです」
じーっと見つめて 「入ってもいいですか?」 「どうぞ どうぞ」

わざわざ断りながら、もみじの前に立ち、手を伸ばしてそーっとさわっている。
大事な大事な宝物でも包み込むように。時間にして長かったような短かったような。
今、散歩がてら買い物した帰りだと、ちょっとした立ち話の後帰られる。

びっくりしてしまった! だまったまま、あんなに優しく木の葉っぱを撫でた人はいない。
紅葉だけを見て帰られた人もいない。 山茶花も草花も咲いているのに・・・あまり手入れもしてないけど・・・
紅葉に格別の思い入れでもあるのかな??
とっても感情こまやかで、愛情深い人なんだろうな????

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金の卵がやってきた

2008/09/28(日)

謡曲、仕舞、ときどき能、お稽古続けて今年でちょうど40年になる。
改めて数えてみて、我ながらちょっと驚いた。
止めようと思ったことがないから、性格的にあっているのだろう。

もちろん 年数の長さなど、まったく自慢のカケラにもならない。
内容のひどいのは、これは自己責任。よく分かっている。
しかしこの年になって、もっとしっかり分かってきたことがある。

好きなことを続けられるのは、お稽古して頂いている先生はじめ、周囲の皆さんのお陰。
これが第一。しかし感謝してオジギしただけでは事はすまなくなった。

日本中が不景気になった。努力もいり手間暇かかる伝統芸は、真っ先に若い人から敬遠だ。
特に田舎町で能舞台もなく、本物の能もなかなか見れない。京都から出稽古の先生は、若先生に世帯交代になったのに、地盤となるべきお弟子さんは年々高齢化の波。

以前は、能を見せるのも、教えるのも、広め伝承するのも玄人の仕事。素人は旦那、奥様方が教養として習うべきものだった。
たしかに演劇として、音楽として、古典文学として、また 能装束一つにしても650年の約束事がからむとなれば、気の遠くなるような知識と経験がいる。素人の手に負えるものではないのだ。

しかしこれが壁になって謡曲、仕舞、囃子など、能の一部分を楽しむだけにしても、言葉がわからない、洋楽とちがって難しそうだ。完成されたお能を見るのはいいが、習うのはどうにも敷居が高い。などと、敬遠され、今や地方の素人の会は絶滅寸前、風前の灯だ。

この頃は都会のお弟子さんも減少傾向だ。若手の能楽師の交通手段の早さとも相まって、地方進出、ボランティアのようなワークショップもおお流行りだ。頑張っていただいてありがたい。
しかし経費の点からも出稽古の先生だけに頼っていたのでは、手軽な稽古事として浸透するのには何年かかることか!

数年前、隣県の素人会が自然消滅。他人ごとではない。
はっきり分かる。座して新入会員を待っても首は絞まるだけ。遅すぎるが、興味のある人に、無料で手ほどきしようと。ボランティアだ。

今まで名誉師範(素人の師範免状)も頂き、30年?教えてきた。なるほど免状も大金がかかるが、なにより玄人の知識経験の違い、高い壁のような格差が分かってくると、教えるということに憶病になる。手軽な稽古事にならないのは、手軽に習える近所の先生がいないからだ。

名誉師範免状持っている人も非常に少なく、無い人が教えたからと言って、周りがキビシイという事はまったくない。素人の先生で育って、玄人の先生に流れるシステムができているからだ。そこから本格的にやってもらえばいい。
自分の勉強になると思って気軽に謡曲、仕舞教えてほしい。みんなウン十年の経験があるのだから。

少々脱線。こんなわけで新人の発掘と、楽しんでいればいいの??と座して動かないベテランの尻たたきとを兼ねて、月に1回ボランティア講座オープンとなった。

第1回 10人位、ただし皆顔見知り。10時?16時まで。復習、分析、意味理論付け?
2回目 ビラ配りが効を奏し、「見学してもいいですか??」 隣の市から一人。 きたー やったー 金の卵!!
とても熱心な方で、次の月から入門講座と、普通講座の2回にする。

半年経った。人数的には変わりがないが、「思いついたら やらざーなるまい!」 大見得切って自分にハッパかけている。
長年楽しんできた謡曲、仕舞、最終には能の良さ、面白さを、一人でも多く味わって頂きたいと思いながら。

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不思議な食べ方

2008/09/20(土)

隣のテーブルに日本そばが運ばれてきた。
和やかに話しながら食べ始めた、お母さんと20歳前後の娘さん。

娘さん、右手に箸持ち、左手におつゆ用の朱塗りの蓮華を持ち、お汁から引っ張り上げたそばを、蓮華にのせ、箸でくるくる回しはじめた。まるでスパゲッティのように。
その上にまたそばをのせ、なんと山盛りになった蓮華のほうを、口にもって行くのだ。
一口に食べれるはずもなく、なんだろう、まるで南瓜の煮たのでもかじるみたいに、端のほうから、グジュグジュ食べている。 う??ん!

テーブルの下で脚を組んでいるから、背中は丸くなり、両肘はつきっぱなし、顎突き出して左手で蓮華を口に、という図になる。食べ終るまで。 どこもけがしてる気配もない。う??ん!

向い側のお母さんも左肘はたてたまま。その肘に時々顎を乗せながら、口は食べたり、しゃべったり。そして何故か手をのばして、盛んに娘さんのおかずを食べている。
娘さんは私の視線を感じてか、時々チラチラと私を見るが、見るだけ! それだけ!

私の子供の頃は・・・などと言いたくもないが、正座してご飯をいただき、一粒でも粗末にしようものならバチが当たると怒られたものだ。食事の躾というよりも、毎日御飯が頂けるという感謝、天地の恵みを受けて自分が生かされているという感謝、食事に対して一種畏怖の念というか、子供心に感じたものだ。(もっとも椅子もテーブルもなく、外食産業もない貧しい時代ではあったが・・・)

お金さえ出せばなんでも食べることができる。自分で買ったのだから好きなように食べればいいじゃないか。人の目がどう思おうと関係ないよ・・・なのか?
儲けのためならなんでもする。他人の口に入るんなら、汚染米だろうと、カビ米だろうとかまうものか、
ばれないようにやればいい!・・・・なのか?
 
犯罪云々は別として、食物に対して人間の奢りというか、心底はどっちも一緒だ。
どっちもサイテイ。カッコワルーイ。

いつか出会った見るからに肉体労働のお兄さん、大盛りのご飯にガバーッとかぶりつき、箸持ったままの右手で汁椀つかみ、味噌汁ガーッと飲みこみ、テンプラやおかずはすべて一口。
あっという間に食べ終わり、両手合わせてちょっと会釈。
いやー豪快、おいしそう??! ご飯も食べられて本望だ! パチパチパチ 拍手!

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